先生方、今日はお忙しい中、このような素敵な会を開いていただきありがとうございます。
結局、19年間いたんですよね。初めて先生方に面接でお会いしたのはまだ英国から帰国した直後でした。赴任後まもなくして生まれた長男が来年は大学受験です。こうやって振り返れば長いような、短いような。
自分自身が父親となり、学校の教師を目指す学生たちに新しい家族の姿を教えるために、私の研究テーマも家族のジェンダーや父性性など、多少シフトしてきました。しかし、この間も週1回クリニックで思春期臨床や、ネットを利用した心の支援活動などに携わり、教育者である以前に精神科医(心の支援者)としてのidentityが優先していました。それに、私、授業で一方的に学生たちに何かを伝えるって、どうも苦手なんですよ。むしろ、相手と直接向き合って話し合っていた方が性に合っています。そういう意味では、個別の卒論・修論指導なんかは楽しむことができました。
実は、かなり前からいつかは教育から臨床に戻りたい、それも定年を待たずに、まだ新しいことに挑戦する体力が残っている50代には切り替えたい、とぼんやり考えていました。でも、今の職場は居心地が良く、自由にさせてもらい、研究の時間もとれます。あえて今の職場を捨てる積極的な理由はありませんでした。
2年前、妻を突然亡くしたおかげで決心できました。もう何も失うものはない。妻も亡くなる数年前から自分が一番やりたかった通訳の道を準備していました。会社を辞め、フリーランスとしてスタートしたばかりでした。身近な死を体験し、自分の残りの人生も身近に考えるようになりました。安定した大学教員のstatusを捨てても、自分が本当にやりたいことを実践するしかありません。
かと言って、駆け出しの医者の頃に戻るわけではありません。当時は「自分が本当にやりたいこと」なんてわかりませんでした。今なら、自分が若い頃に学んできたこと、その後、仕事やプライベートで体験してきたことを振り返り、自分が何を本当にやりたいのか、やっと見えてきたように思います。矛盾だらけの日本の精神科医療に戻るつもりはありません。精神医療全体ではなく、自分が主に関わってきた、ある意味狭い専門分野だけと、自立につまづく若い人たちと、自信をなくしたその家族の苦悩はよくわかるし、何とか力になれるかもしれない。そのためには、短い時間しかとれず、薬漬けの保険診療では実現できません。かといって、3人の子どもたちもいるし、今の生活レベルを落としたくはない。結局、自由診療となり、患者さんの経済的負担は大きくなります。それでも子どもの将来を心配して救いを求める方々はたくさんいるはずです。
そんなに大風呂敷広げちゃって、ホントに治せるのかって?
いや、僕が「治す」わけじゃないですよ。責任を逃れるわけじゃないけど、治っていくのはご本人と家族です。人の人生に、他人がどうこう口出しはできません。そうじゃなくて、彼らが潜在に持っている自らの力を回復して元気になれるプロセスをお手伝いしたい。人の心を変えることはできません。でも、人の心に寄り添い、元気づけることはできます。救いを求めてくる人々の心と、じっくり向き合いたい。
新しい仕事の場所もだいたい決まったんです。必要な方がまわりにいましたら、どうぞご利用ください。というか、先生方ご自身もどうぞ。生徒や学校の先生のメンタルヘルスについては、最近ずいぶん啓発が進みましたが、大学の先生とか会社のお偉いさんなんかのメンタルヘルスは、今のところ全く盲点なんですよ。「優秀な人は心も元気」と普通思いますからね。でも、実際には有能さと心の元気さは関係ないんです。むしろ、指導的な立場の人ほど、他者から支援を受ける機会が得られず困っています。精神科医やカウンセラーなんか一番良い例ですよ。人に支援しているくせに、自分が支援されるニーズは全くと言ってよいほど満たされていません。そんな人たちにもこっそり支援できる体制を整えたいと思っています。
家族や職場の同僚など、身近な人は関われないんですよ。客観性を保つことができませんから。でも、これで先生方とも晴れて「他人」になれますので、どうぞ必要なときは遠慮なく利用してください!
Yuko. November 12th, 1963 to January 3rd, 2009. Died at the age of 45.
Send your message to lettertoyuko@gmail.com
Monday, February 28, 2011
Friday, February 18, 2011
ガマンしなくてもいいのに。
今日も軽いダブル弁当。
夜9時過ぎに仕事を終え家路へ。
途中でバーに寄り、一杯やるかなあ。ひとりでカウンターで飲む酒も美味い。
でも、やめた。ここで帰れば、寝る前の子どもたちに会える。立ち寄れば、寝顔しか見れない。
じゃあ、家でナッツと共にバーボンを傾けるかなあ。
でも、やめた。せっかく絞ってきたのに、寝る前に一杯やったらダメでしょ。
しかし、そんなに禁欲的になる必要性もないんだよ。無理すんなよ。
と言ったって明日からスキーだ。どうせ思いっきり運動して、夜は仲間と思いっきり飲み食いするでしょ!
だからこそ今晩は我慢するんだ。今もお酒の代わりにコーヒーを飲んでいる。
寝る前に飲んで大丈夫?
大丈夫だよ。十分に疲れてるから眠れるし。もう、半分眠くなってきた。
夜9時過ぎに仕事を終え家路へ。
途中でバーに寄り、一杯やるかなあ。ひとりでカウンターで飲む酒も美味い。
でも、やめた。ここで帰れば、寝る前の子どもたちに会える。立ち寄れば、寝顔しか見れない。
じゃあ、家でナッツと共にバーボンを傾けるかなあ。
でも、やめた。せっかく絞ってきたのに、寝る前に一杯やったらダメでしょ。
しかし、そんなに禁欲的になる必要性もないんだよ。無理すんなよ。
と言ったって明日からスキーだ。どうせ思いっきり運動して、夜は仲間と思いっきり飲み食いするでしょ!
だからこそ今晩は我慢するんだ。今もお酒の代わりにコーヒーを飲んでいる。
寝る前に飲んで大丈夫?
大丈夫だよ。十分に疲れてるから眠れるし。もう、半分眠くなってきた。
Thursday, February 17, 2011
春の息吹き
ダブル弁当はマゾヒスティックな快感だなあ。
センセ、こんな量で足りるんですかぁ?
いやあ、足らすんですよ。
いつも慢性的に小腹がすいている。それを満たそうとすればわけないのだけど、あえて満たさず欠乏感を味わうってのが、僕の心情にマッチして心地よい。以前は空腹感は恐怖で避けよう避けようとしていたが、今はふつうに耐えられるようになった。インスリン分泌量もかなり減ったんじゃないかな。
センセ、よく作りますねぇ!
そうだよ。昼と夜ふたつの弁当、中身も微妙に違えているんだからね。メインのおかずを二品つくる。ちなみに、今日はウインナーと鶏肉の味噌漬け。僕の弁当にはそれぞれひとつを入れて、ちゅけのドカ弁には両方いれる。付け合せの野菜は3つとも共通ね。今日はきんぴらごぼう、キャベツ入りオムレツ、それにホウレン草の胡麻和え。これでもう5品だから、けっこう充実弁当だよ。
今日もチャリ通。朝のうちはまだ冬の風で、一昨日の雪が日陰に残っていた。でも昼になると気温も上がり何となく春の息吹きを感じる。チャリに乗っていると、敏感に季節の移り変わりを肌で感じる。特に多摩サイでね。
えーっ、もう春が来ちゃうの?
まだ冬のまま、寒さに縮こまっていたい。沈滞した喪失感から離れたくない。
その一方で、オレ自身はどんどん春に向けて移り変わっているんだ。大きな悲しみに出会い、心をbottom lineまでリセットしたから、喜びはすごく大きい。この落差のおかげで幸せをmaximumに実感できるんだ。
もう、春が来ても良いよ!
センセ、こんな量で足りるんですかぁ?
いやあ、足らすんですよ。
いつも慢性的に小腹がすいている。それを満たそうとすればわけないのだけど、あえて満たさず欠乏感を味わうってのが、僕の心情にマッチして心地よい。以前は空腹感は恐怖で避けよう避けようとしていたが、今はふつうに耐えられるようになった。インスリン分泌量もかなり減ったんじゃないかな。
センセ、よく作りますねぇ!
そうだよ。昼と夜ふたつの弁当、中身も微妙に違えているんだからね。メインのおかずを二品つくる。ちなみに、今日はウインナーと鶏肉の味噌漬け。僕の弁当にはそれぞれひとつを入れて、ちゅけのドカ弁には両方いれる。付け合せの野菜は3つとも共通ね。今日はきんぴらごぼう、キャベツ入りオムレツ、それにホウレン草の胡麻和え。これでもう5品だから、けっこう充実弁当だよ。
今日もチャリ通。朝のうちはまだ冬の風で、一昨日の雪が日陰に残っていた。でも昼になると気温も上がり何となく春の息吹きを感じる。チャリに乗っていると、敏感に季節の移り変わりを肌で感じる。特に多摩サイでね。
えーっ、もう春が来ちゃうの?
まだ冬のまま、寒さに縮こまっていたい。沈滞した喪失感から離れたくない。
その一方で、オレ自身はどんどん春に向けて移り変わっているんだ。大きな悲しみに出会い、心をbottom lineまでリセットしたから、喜びはすごく大きい。この落差のおかげで幸せをmaximumに実感できるんだ。
もう、春が来ても良いよ!
Monday, February 14, 2011
パパの物語
有識者として原稿を依頼されましたが、個人的な体験でも良いということなので本音を書かせていただきます。パパの子育てとかイクメンは、私の体験に照らし合わせればあえて取沙汰せずとも自然なことです。それは、私の身近に「パパの物語」があったからだと思います。
まず、私の父親の物語。パパは群馬の山奥(今でこそ有名になった四万温泉)から、ママは愛媛県の海辺の町から東京に出て、お見合い結婚から核家族をスタートさせました。親類縁者たちから離れ、私と妹ふたりの子育てに孤軍奮闘したのだと思います。高度経済成長期の標準からすれば公務員だったパパの帰りは比較的早く、土日もふつうに家にいて、子どもたちによく関わってくれました。もっとがんばれ!と過剰に期待されることもなく、学区の都立高校に進学しました。アメリカ留学を希望した時も、大学に行けなくなるぞ!という高校担任の忠告をさえぎり、私を認めてくれました。
次に、祖父の物語。家族の中で繰り返し伝えられる話を家族神話と言います。旅館業を営んでいた私の祖父はいつも家にいて子煩悩だったそうです。私のパパが幼い頃、寝ている体がふんわり浮き、父親が自分の寝床に持って行き一緒に寝ていたそうです。多くの物語の中でこの話が家族神話として記憶に留まっているのは、父から息子へと代々受け継がれる伝統に含まれるからでしょう。それを私は無意識に子どもたちに伝えるのだと思います。
さらに、アメリカの父親の物語。留学中1年間お世話になったホスト・ファーザーは、午後5時に仕事を終え、5時半には家にいて、庭の手入れと食事の支度、夕食後には庭のテラスで日が暮れるまで近所の人たちとおしゃべりしていました。日本人の私にとって特筆すべきことですが、彼らはには普通のことです。
これらの物語は、精神科医として出会った父親の物語と大きく異なっていました。思春期の不登校やひきこもりなどの家族の多くには、物理的にも心理的にもパパがいません。仕事で不在がちだし、親子や夫婦の会話すらありません。その分、ママがぴったり子どもにくっついています。幼い頃はそれでも構いませんが、思春期になると親離れ・子離れが難しくなります。思春期はウチ(ママ)の世界から、パパ(ソト)の世界に飛び出します。緊密なママと子どもの絆にパパがクサビを打ち込み、夫婦関係を取り戻せば、子どもは自然にママから離れてゆきます。子どもだけを治療しても一向に良くならないので、家族全体を元気にできる家族療法を勉強しました。
さて、次は私自身がパパになった物語です。30歳で結婚した私は妻に家にいてほしくないと思いました。男が経済力と自由を占領した方がホントは気持ちよく、好きなことをできるのだろうけど、結局は家族を顧みず、仕事に埋没する男になっても面白くありません。妻が夕飯の支度をして私の帰宅を待つよりは、妻が自分を成就している方が、自分も同じようにできます。
今までの人生で一番嬉しかった瞬間を3つ挙げるとしたら、1)高校留学試験に受かった時、2)妻が私のプロポーズを受け入れてくれた時、そして3)妻の出産に立ち会い、長男に出会った時でしょう。親になった喜びをふたりで分かち合い、妻も私も働き続け、保育園と両親の力を借りながら子育てしました。私もパパとしてがんばっていたつもりでしたが、妻から、「あなたは口ではきれいごとばかりで、結局は私にやらせるのね」と言われていました。確かに、週末も仕事やゴルフに行ってました。
そんな妻も2年前、家族でスキーをしているさ中に心臓発作で急死。享年45歳でした。私は生涯経験したことのない深い悲しみと心の危機に直面しつつ、シングル・ファーザーとして格闘してきました。
悲しみは隠さず、子どもたちと共有するよう心掛けています。外食でさえ焼肉かスパゲッティか意見が合わない3人の子どもたちも、ママのお墓参りに行く時は必ず意見が一致します。4人そろって車で小一時間、三浦半島の公園墓地のママに会いに行きます。
子どもたちにとって、スキーは母親を奪った敵です。「もう絶対スキーなんか行かない」と宣言していた次男も、2年目となる今年の正月に友だち家族と一緒にスキーに行くことができました。
子どもたちと悲しみを共有しつつ、ふだんは父親の元気な姿を見せてあげたい。スポーツ好きな私は体を動かすことで心も元気になります。自転車で大田区から32kmの道を通勤し、テニスやスキーを楽しむ父親を見て、高2の長男はバレーボール、中2の娘は水泳、小6の次男は体操にがんばっています。
普段の炊事・洗濯は二世帯同居の母親が支えてくれますが、子どものお弁当は私が作ります。保育園時代の弁当はほとんど妻が作っていました。小中学時代は給食ですが、高校はまたお弁当です。保育園時代のママ友たちが「交代して作ってあげるわよ」と申し出てくれましたが、幸い家事の中で料理は好きな方です。当初頼りにしていた男子弁当の料理本を見なくても冷蔵庫の残り物で作れるようになりました。食事作りは子どもたちを養っている実感をダイレクトに得ることができます。ついでに自分の弁当も作り、外食が減りました。
中2の娘は気が強く、反抗期の真っ只中です。挑戦してくる無理難題に甘やかしたくはありません。厳しく限界を設定する一方で、娘にとっても甘えたりおねだりするのはパパしかいません。昨年、オーストラリアに住む友人家族が訪ねてきました。好奇心の強い娘は「遊びにおいでよ!」という誘いに乗りたい一方、まだひとり旅は不安です。大丈夫だよ、行ってごらんよ。私の父親と同じように娘を励まし、結果的にはとても楽しんできました。私が成田空港まで迎えに行くと、いつもの父親に見せるブスっとした顔。あーあ、日本に帰ってきちゃった!という気持ちは私もよくわかります。でも言わなくちゃと、とってつけた口調で一言「パパありがとう」。パパはそれだけで十分報われます。
多忙のため限られた時間の中で、子どもたちと気持ちがつながる瞬間の温かさを感じます。それはおそらく自分自身の父親との関係の中で育まれた感性です。妻を失った今の方が、私にとっても子どもたちにとっても一層かけがえのない親子の絆となりました。父親の物語は過去から現在、そして未来につながってゆきます。
すべての人は心の中に光と影を持っています。そしてすべての親は子どもを愛そうとします。親から愛された記憶が光の中にあると、子育てほど楽しく幸せなことはありません。反対に、それが影の記憶に埋め込まれていると、子どもと関わることがとても苦しくなります。それは私自身、そして私が出会うすべての家族に当てはまります。幸い、光と影は陰陽太極図のように循環します。私は、家族の支援者として、光の中で親子が関われるようなお手伝いをしたいと願っています。
まず、私の父親の物語。パパは群馬の山奥(今でこそ有名になった四万温泉)から、ママは愛媛県の海辺の町から東京に出て、お見合い結婚から核家族をスタートさせました。親類縁者たちから離れ、私と妹ふたりの子育てに孤軍奮闘したのだと思います。高度経済成長期の標準からすれば公務員だったパパの帰りは比較的早く、土日もふつうに家にいて、子どもたちによく関わってくれました。もっとがんばれ!と過剰に期待されることもなく、学区の都立高校に進学しました。アメリカ留学を希望した時も、大学に行けなくなるぞ!という高校担任の忠告をさえぎり、私を認めてくれました。
次に、祖父の物語。家族の中で繰り返し伝えられる話を家族神話と言います。旅館業を営んでいた私の祖父はいつも家にいて子煩悩だったそうです。私のパパが幼い頃、寝ている体がふんわり浮き、父親が自分の寝床に持って行き一緒に寝ていたそうです。多くの物語の中でこの話が家族神話として記憶に留まっているのは、父から息子へと代々受け継がれる伝統に含まれるからでしょう。それを私は無意識に子どもたちに伝えるのだと思います。
さらに、アメリカの父親の物語。留学中1年間お世話になったホスト・ファーザーは、午後5時に仕事を終え、5時半には家にいて、庭の手入れと食事の支度、夕食後には庭のテラスで日が暮れるまで近所の人たちとおしゃべりしていました。日本人の私にとって特筆すべきことですが、彼らはには普通のことです。
これらの物語は、精神科医として出会った父親の物語と大きく異なっていました。思春期の不登校やひきこもりなどの家族の多くには、物理的にも心理的にもパパがいません。仕事で不在がちだし、親子や夫婦の会話すらありません。その分、ママがぴったり子どもにくっついています。幼い頃はそれでも構いませんが、思春期になると親離れ・子離れが難しくなります。思春期はウチ(ママ)の世界から、パパ(ソト)の世界に飛び出します。緊密なママと子どもの絆にパパがクサビを打ち込み、夫婦関係を取り戻せば、子どもは自然にママから離れてゆきます。子どもだけを治療しても一向に良くならないので、家族全体を元気にできる家族療法を勉強しました。
さて、次は私自身がパパになった物語です。30歳で結婚した私は妻に家にいてほしくないと思いました。男が経済力と自由を占領した方がホントは気持ちよく、好きなことをできるのだろうけど、結局は家族を顧みず、仕事に埋没する男になっても面白くありません。妻が夕飯の支度をして私の帰宅を待つよりは、妻が自分を成就している方が、自分も同じようにできます。
今までの人生で一番嬉しかった瞬間を3つ挙げるとしたら、1)高校留学試験に受かった時、2)妻が私のプロポーズを受け入れてくれた時、そして3)妻の出産に立ち会い、長男に出会った時でしょう。親になった喜びをふたりで分かち合い、妻も私も働き続け、保育園と両親の力を借りながら子育てしました。私もパパとしてがんばっていたつもりでしたが、妻から、「あなたは口ではきれいごとばかりで、結局は私にやらせるのね」と言われていました。確かに、週末も仕事やゴルフに行ってました。
そんな妻も2年前、家族でスキーをしているさ中に心臓発作で急死。享年45歳でした。私は生涯経験したことのない深い悲しみと心の危機に直面しつつ、シングル・ファーザーとして格闘してきました。
悲しみは隠さず、子どもたちと共有するよう心掛けています。外食でさえ焼肉かスパゲッティか意見が合わない3人の子どもたちも、ママのお墓参りに行く時は必ず意見が一致します。4人そろって車で小一時間、三浦半島の公園墓地のママに会いに行きます。
子どもたちにとって、スキーは母親を奪った敵です。「もう絶対スキーなんか行かない」と宣言していた次男も、2年目となる今年の正月に友だち家族と一緒にスキーに行くことができました。
子どもたちと悲しみを共有しつつ、ふだんは父親の元気な姿を見せてあげたい。スポーツ好きな私は体を動かすことで心も元気になります。自転車で大田区から32kmの道を通勤し、テニスやスキーを楽しむ父親を見て、高2の長男はバレーボール、中2の娘は水泳、小6の次男は体操にがんばっています。
普段の炊事・洗濯は二世帯同居の母親が支えてくれますが、子どものお弁当は私が作ります。保育園時代の弁当はほとんど妻が作っていました。小中学時代は給食ですが、高校はまたお弁当です。保育園時代のママ友たちが「交代して作ってあげるわよ」と申し出てくれましたが、幸い家事の中で料理は好きな方です。当初頼りにしていた男子弁当の料理本を見なくても冷蔵庫の残り物で作れるようになりました。食事作りは子どもたちを養っている実感をダイレクトに得ることができます。ついでに自分の弁当も作り、外食が減りました。
中2の娘は気が強く、反抗期の真っ只中です。挑戦してくる無理難題に甘やかしたくはありません。厳しく限界を設定する一方で、娘にとっても甘えたりおねだりするのはパパしかいません。昨年、オーストラリアに住む友人家族が訪ねてきました。好奇心の強い娘は「遊びにおいでよ!」という誘いに乗りたい一方、まだひとり旅は不安です。大丈夫だよ、行ってごらんよ。私の父親と同じように娘を励まし、結果的にはとても楽しんできました。私が成田空港まで迎えに行くと、いつもの父親に見せるブスっとした顔。あーあ、日本に帰ってきちゃった!という気持ちは私もよくわかります。でも言わなくちゃと、とってつけた口調で一言「パパありがとう」。パパはそれだけで十分報われます。
多忙のため限られた時間の中で、子どもたちと気持ちがつながる瞬間の温かさを感じます。それはおそらく自分自身の父親との関係の中で育まれた感性です。妻を失った今の方が、私にとっても子どもたちにとっても一層かけがえのない親子の絆となりました。父親の物語は過去から現在、そして未来につながってゆきます。
すべての人は心の中に光と影を持っています。そしてすべての親は子どもを愛そうとします。親から愛された記憶が光の中にあると、子育てほど楽しく幸せなことはありません。反対に、それが影の記憶に埋め込まれていると、子どもと関わることがとても苦しくなります。それは私自身、そして私が出会うすべての家族に当てはまります。幸い、光と影は陰陽太極図のように循環します。私は、家族の支援者として、光の中で親子が関われるようなお手伝いをしたいと願っています。
(小金井市男女平等情報誌「かたらい」原稿)
Sunday, February 13, 2011
"長"になりたくなかった男
大森駅ビル内のカフェ Bagel & Bagel なう。
家の近所で、まったりひとり落ち着ける場所を確保した。スタバみたいに混んでせわしくない。広めのゆったりした空間。若い女性客が多いのも良い。オバタリアンのおしゃべりを回避するためにイヤフォンで好きな音楽を聞いているけど。ここは昼の居場所。夜バージョンはTenderlyがいいな。
こういう時は小説でも読めばいいのに、つい書いてしまう。情報のinputより、情動のoutputの方が、気分を落ち着けてくれる。
なだいなだが「"長"になりたくなかった男」を学士会会報に寄稿している。"長"になる資質を持ちながら、あえて"長"を避けた理由は...というわけだ。
オレも"長"にはなりたくない。中学の生徒会副会長と、高校山岳部の部長で十分だ。でも医師と大学教授をやってると、どうしても"長"の役割をやらされる。それが好きで教授になりたい人もたくさんいるのに。もし僕が大学教授になれなかったら、なりたがっていただろう。欲しいものを得てしまったら、もやはそれは喜びでも生きがいでもなく、お荷物にしか過ぎない。この先も大学に居続けたら、齢の順で○○委員長とかいろいろやらされる。それだけは避けたい。そうなる前に辞めるんだ。
集団主義的な"世間"に生きる根拠を置く日本人は、ムラ社会の"長"になることが成功の証しとなる。個人主義的なイギリスの医者は、年季が明けるとさっさと大病院を辞めてprivate practiceかearly retirementでパーソナルな充実を目指す。日本の医者はいつまでも大病院か大学のポストにしがみつく。
優子という最も身近な絆を失ったことで、親しいパーソナルな絆の中にこそ生き甲斐が存在することに気づいた。ムラ社会からの眼差しは、僕にとって何の意味も持たなくなった。
家の近所で、まったりひとり落ち着ける場所を確保した。スタバみたいに混んでせわしくない。広めのゆったりした空間。若い女性客が多いのも良い。オバタリアンのおしゃべりを回避するためにイヤフォンで好きな音楽を聞いているけど。ここは昼の居場所。夜バージョンはTenderlyがいいな。
こういう時は小説でも読めばいいのに、つい書いてしまう。情報のinputより、情動のoutputの方が、気分を落ち着けてくれる。
なだいなだが「"長"になりたくなかった男」を学士会会報に寄稿している。"長"になる資質を持ちながら、あえて"長"を避けた理由は...というわけだ。
オレも"長"にはなりたくない。中学の生徒会副会長と、高校山岳部の部長で十分だ。でも医師と大学教授をやってると、どうしても"長"の役割をやらされる。それが好きで教授になりたい人もたくさんいるのに。もし僕が大学教授になれなかったら、なりたがっていただろう。欲しいものを得てしまったら、もやはそれは喜びでも生きがいでもなく、お荷物にしか過ぎない。この先も大学に居続けたら、齢の順で○○委員長とかいろいろやらされる。それだけは避けたい。そうなる前に辞めるんだ。
集団主義的な"世間"に生きる根拠を置く日本人は、ムラ社会の"長"になることが成功の証しとなる。個人主義的なイギリスの医者は、年季が明けるとさっさと大病院を辞めてprivate practiceかearly retirementでパーソナルな充実を目指す。日本の医者はいつまでも大病院か大学のポストにしがみつく。
優子という最も身近な絆を失ったことで、親しいパーソナルな絆の中にこそ生き甲斐が存在することに気づいた。ムラ社会からの眼差しは、僕にとって何の意味も持たなくなった。
Saturday, February 12, 2011
ハッチとノラ
子どもたち、昨日は良い日だったでしょ!
たくさん買物したよね。
まず、ちゅけに誕生日プレゼントの新型iPod。ヨドバシカメラの店頭よりネット通販の方が安いことが確認できたね。付属品だけ買って、あとでamazonで注文してやるから。
GAPで、祐馬、こんなにたくさん買ってもいいの?って聞かれたって、女の子がどれくらい服をたくさん必要なのかはよくわからないんだよ。男はそんなにいらないけど、ママのバッグとかみてると、なんであんなにたくさん必要なのってわけわかんなくなるよな。まあ、今回はそんなにたくさんでもないし、この際、買ってやるよ。ちゅけとじんも、始めは服なんか興味なさそうだったけど、シャツとかズボンとか買ってよかったじゃん。パパもジャケット買おうかなと思ったけど、祐馬にケチつけられたからや~めた。まあ、とても欲しいってわけじゃかったし、衝動買いだから。どうでもいいんだ、パパは。
さらに靴屋さんで祐馬のブーツまで買っちゃって。良かったね~~。
夜ご飯も良かったでしょ!
子どもたちもお肉三昧、おいしい、おいしいって!
あのおじさん、ユニークだね。カウンターだけのすごいちっちゃな場末のお店。古びて、そんなにキレイじゃないけど、くつろげたね。
Mさんが連れてきてくれたんだよ。Mさんとパパたちはとても奇妙な関係なんだ。パパと奥さんが仕事仲間。ママとダンナさんが学生時代の友だちだったんだ。そのことお互いにずっと知らなくて、ある年に、「あれ、同じ年賀状が二枚来てるわ!?」ということで気づいたんだって。面白いでしょ!
以来、家族でうちに招いたり、草津でも一緒にBBQやったの覚えてるよね。このお店も、祐馬が年長さんくらいのときに来たんだよ。Mさん夫婦とうちら5人で。子どもたちはまだ小さかったからナマのお肉とか食べられなかったけど、今回は、タルタルステーキなんかもパクパク食べてたね。ママが死んだことなんかもMさんが前もってマスターに話しておいてくれたから、うちらのことよく知っていてくれるんだよ。だから、あんなに君たちのことをほめてくれたり、料理まで実演で教えてくれたんだ。一見こわそうで、敬遠するお客さんもいるらしいけど、ホントはとても優しいおじさんだよね。またそのうち、みんなで美味しいお肉を食べに行こうな。
パパは土日もいないことが多いし、子どもたちもバレー、水泳、体操とそれぞれ用事があるし、こうやって4人そろって過ごす時間は、パパの一番大切な財産だよ。
----------
こんにちは、家族の皆さん、1昨日はありがとうございました。
また、わざわざのメールありがとうございます。
ハッチとノラの料理の味は満足できましたか。
皆さんは人柄が良く「笑顔」の似合う人達ですね。
一緒に幸せな気分にさせて、楽しませて頂きました。
また、時間があいた時には、お腹をすかせて、いつでもお越し下さい。
たくさん買物したよね。
まず、ちゅけに誕生日プレゼントの新型iPod。ヨドバシカメラの店頭よりネット通販の方が安いことが確認できたね。付属品だけ買って、あとでamazonで注文してやるから。
GAPで、祐馬、こんなにたくさん買ってもいいの?って聞かれたって、女の子がどれくらい服をたくさん必要なのかはよくわからないんだよ。男はそんなにいらないけど、ママのバッグとかみてると、なんであんなにたくさん必要なのってわけわかんなくなるよな。まあ、今回はそんなにたくさんでもないし、この際、買ってやるよ。ちゅけとじんも、始めは服なんか興味なさそうだったけど、シャツとかズボンとか買ってよかったじゃん。パパもジャケット買おうかなと思ったけど、祐馬にケチつけられたからや~めた。まあ、とても欲しいってわけじゃかったし、衝動買いだから。どうでもいいんだ、パパは。
さらに靴屋さんで祐馬のブーツまで買っちゃって。良かったね~~。
夜ご飯も良かったでしょ!
子どもたちもお肉三昧、おいしい、おいしいって!
あのおじさん、ユニークだね。カウンターだけのすごいちっちゃな場末のお店。古びて、そんなにキレイじゃないけど、くつろげたね。
Mさんが連れてきてくれたんだよ。Mさんとパパたちはとても奇妙な関係なんだ。パパと奥さんが仕事仲間。ママとダンナさんが学生時代の友だちだったんだ。そのことお互いにずっと知らなくて、ある年に、「あれ、同じ年賀状が二枚来てるわ!?」ということで気づいたんだって。面白いでしょ!
以来、家族でうちに招いたり、草津でも一緒にBBQやったの覚えてるよね。このお店も、祐馬が年長さんくらいのときに来たんだよ。Mさん夫婦とうちら5人で。子どもたちはまだ小さかったからナマのお肉とか食べられなかったけど、今回は、タルタルステーキなんかもパクパク食べてたね。ママが死んだことなんかもMさんが前もってマスターに話しておいてくれたから、うちらのことよく知っていてくれるんだよ。だから、あんなに君たちのことをほめてくれたり、料理まで実演で教えてくれたんだ。一見こわそうで、敬遠するお客さんもいるらしいけど、ホントはとても優しいおじさんだよね。またそのうち、みんなで美味しいお肉を食べに行こうな。
パパは土日もいないことが多いし、子どもたちもバレー、水泳、体操とそれぞれ用事があるし、こうやって4人そろって過ごす時間は、パパの一番大切な財産だよ。
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こんにちは、家族の皆さん、1昨日はありがとうございました。
また、わざわざのメールありがとうございます。
ハッチとノラの料理の味は満足できましたか。
皆さんは人柄が良く「笑顔」の似合う人達ですね。
一緒に幸せな気分にさせて、楽しませて頂きました。
また、時間があいた時には、お腹をすかせて、いつでもお越し下さい。
Tuesday, February 8, 2011
Anti-Aging
昨夜の夢:鏡で自分の姿を見たら、頭頂部がハゲていた!ワッ、たいへん!
だって、オレの同じ年の親友だってそうだもんな。
昨日はslow lifeについて書いた。
昨日は昼夜ダブル弁当にチャリ通勤。体重を落としていく。
先生、若いですねえ!なんか最近、どんどん若返ってきているみたい!
そうだよ、オレはまだ現役でいたいんだ。今、開業するのだって、65歳でリタイアするのを拒否しているから。精神科医は寿命が長いからね。定年で大学教員を辞め、その後、どこかの私立で70歳くらいまで勤めて、その後は悠々自適で、、、というライフコースを否定しているんだ。生涯現役でいたい。日野原重明さんみたいに。そして、亡くなるときはポックリいきたい。つまり、「老い」の過程を否定しているというか、老いることへの不安・恐怖なんだよな。
まだ、大丈夫でしょう!まだ、働き盛りですよ。
だってもうすぐ54歳だよ。若いの?、若くないの?
この年代は差が大きいね。若い奴はまだまだ十分に若々しい。老けてるやつは、かなり老けている。
医学的に見れば、自己責任なんだよ。メタボリック症候群に生活習慣病。普段の食生活(食べ過ぎ・飲み過ぎ)、身体をどう使うか、ストレスをどう調整するかによって、ぜんぜんコースが変わってくる。身体の健康に、心の健康。
ぽっくり不動=「病まずにポックリ逝きたい」。要するに病むこと、老けることの忌避ね。身体的・社会的機能がだんだん衰えてきて、、、最後は孤独死みたいな。
そういう意味じゃ、優子は理想の生き方だったよな。全く老いることなく、スキー場でポックリ逝ったから。45年生きても、90年生きても、そう大差があるわけではない。人生終わってみたら同じでしょ。長ければ良いわけじゃないもんね。量より質だ。短くても質の高い生き方をすればいいじゃないか。
じゃあ、僕が今、ポックリ逝けば良いのかって、そういうわけにいかないでしょ。子どもたちの父親として、あと10年は責任がある。それにオレ自身だって生きてることは楽しいから、もっと楽しみたいね。だんだん山を下りていく生き方はイヤなんだ。日野原みたいに生きたい。
だから、こんな若い振りをしてるんだね。体重絞って、活力を発揮して。べつに無理してるわけじゃないよ。そうしたいだけなんだ。
今まで漠然と感じていたことを、優子を失った2年で改めて直面しただけなのかもしれない。
だって、オレの同じ年の親友だってそうだもんな。
昨日はslow lifeについて書いた。
昨日は昼夜ダブル弁当にチャリ通勤。体重を落としていく。
先生、若いですねえ!なんか最近、どんどん若返ってきているみたい!
そうだよ、オレはまだ現役でいたいんだ。今、開業するのだって、65歳でリタイアするのを拒否しているから。精神科医は寿命が長いからね。定年で大学教員を辞め、その後、どこかの私立で70歳くらいまで勤めて、その後は悠々自適で、、、というライフコースを否定しているんだ。生涯現役でいたい。日野原重明さんみたいに。そして、亡くなるときはポックリいきたい。つまり、「老い」の過程を否定しているというか、老いることへの不安・恐怖なんだよな。
まだ、大丈夫でしょう!まだ、働き盛りですよ。
だってもうすぐ54歳だよ。若いの?、若くないの?
この年代は差が大きいね。若い奴はまだまだ十分に若々しい。老けてるやつは、かなり老けている。
医学的に見れば、自己責任なんだよ。メタボリック症候群に生活習慣病。普段の食生活(食べ過ぎ・飲み過ぎ)、身体をどう使うか、ストレスをどう調整するかによって、ぜんぜんコースが変わってくる。身体の健康に、心の健康。
ぽっくり不動=「病まずにポックリ逝きたい」。要するに病むこと、老けることの忌避ね。身体的・社会的機能がだんだん衰えてきて、、、最後は孤独死みたいな。
そういう意味じゃ、優子は理想の生き方だったよな。全く老いることなく、スキー場でポックリ逝ったから。45年生きても、90年生きても、そう大差があるわけではない。人生終わってみたら同じでしょ。長ければ良いわけじゃないもんね。量より質だ。短くても質の高い生き方をすればいいじゃないか。
じゃあ、僕が今、ポックリ逝けば良いのかって、そういうわけにいかないでしょ。子どもたちの父親として、あと10年は責任がある。それにオレ自身だって生きてることは楽しいから、もっと楽しみたいね。だんだん山を下りていく生き方はイヤなんだ。日野原みたいに生きたい。
だから、こんな若い振りをしてるんだね。体重絞って、活力を発揮して。べつに無理してるわけじゃないよ。そうしたいだけなんだ。
今まで漠然と感じていたことを、優子を失った2年で改めて直面しただけなのかもしれない。
Monday, February 7, 2011
Slow Life
僕にとって、slow downするって思いのほか難しいんだよなあ。
優子を失う前から、slow downしたいって考えていたけど、いつも気がついたら思いっきり飛ばしている。
仕事をslow downしよう。
そう思って大学を辞めるはずなのに、次の仕事(開業)に向けて、また走り始めている。物件を22件見て回り、そろそろ手を打つかな。そうだよ、そうやってたくさん見るのがセオリーなんだから。
開業したらどんな風にしようかな。次々にアイデアが湧いてくる。ほかの人にはできない、僕にしかできないユニークな仕事を!
そうだよ。それが僕の取り柄なんだ。優子がいなくなったって、へこたれないんだ。馬力を持っているからね。D51の蒸気機関車か、新幹線か、障害物をものともせず、ぶっ飛ばしてゆく。そういうライフスタイルをよしとしてきたんだ。成長神話。More is betterの生き方。
何でもっとゆっくりしないの?
ゆっくりできないの?
だって、つまらないじゃん!短い人生だもの。限られた時間のワク内でやりたいことはたくさんある。面白いことをたくさんやらなくちゃ損でしょ。
コマみたいに回り続けているんだ。回ることでバランスを取っている。
スピードを落とせば見えてくるものがあるはずだ。
新幹線じゃなくて、鈍行列車。
自動車じゃなくて、自転車あるいは徒歩。
同じ道を進んでも、周りの景色は全然違う。
光と影。
影を見過ごし、光ばかりを追い求めてきた。
Slow downしたら、影の部分が見えてくる。優子を失い、バランスを崩し、倒れるんじゃないあという不安があるんだろう。その不安を解消するために、とりあえず、回り続けないといけない。要するに、人生を焦っているんだね、キミは。
こうやって書いているのだって、回している証拠だ。自分との対話を続けている。
日本社会だって、すっ飛ばしてきた。そうしないと列強に乗っ取られるという不安・焦りが国中にあったのだよな。
でも、バブル期以降、多少はslow downしたから見えてきたものもある。心理学ブームも然り。影の部分(病理)にも目を向ける余裕が出てきたんだ。社会がそれに気づけば、見かけの頻度は増加する。「ひきこもり」だってホントは昔からあった病理なんだ。それを、今まで見過ごしてきただけ。見ることができるようになっただけマシと考えてもよいはずだ。
どうやったらslow downできるのだろうか?
僕にとっては至難の業だ。ヒマでも、やることがなくても、何かちょこまかやることを作ってしまう。旅行に行っても、プールサイドでのんびりできず、あちこち探検したり、ジムに行ったり動いてしまう。のんびり半日、いや丸一日プールサイドに寝そべって何もしないでいられたら最高なんだけど。難しいなあ。少なくとも本か、このノートは必要だ。要するにimaginationを膨らませて、自分の内的世界を旅したいんだ。自分の声を聴きたい。そうしたら亡くしたものと出会える。
自分の内面と出会う旅。
家に帰れば、子どもたちと、やるべき雑用がたくさん待っている。
職場だって同じだ。多くの人たちと交流し、思いっきりextroversionな世界:それはそれで楽しいのだけど。
海外旅行に行ったら、最果ての地に行きたい。一人で行かなきゃダメだな。でも、ひとりで行ってもさみしさに耐えられず、すぐに社交してしまうかもしれない。
高校時代も同じようなことを考えていたっけ。高3の夏、アメリカ留学から帰国して、単独行で扇沢から白馬岳まで後立山連峰を縦走した。あれは良かったな。今でも印象に残っている。
もし大学受験に失敗したら、ひとり流氷を見に傷心のたびに出かけようと思っていたのだけど、幸か不幸か受かっちゃって、高校山岳部の参考にOBデビューしたんだ。
昨晩はExtrovertではなくintrovertな世界を求めて、ひとりでバーに来たら友達に会っちゃった(嬉し涙)!
今、飯田橋のルノアールに来ている。仕事と仕事の谷間にできた1時間ほどのギャップ。買物や本屋をうろつかず、ひとりカフェでノートに向かっている。こういう時は、ノートPCよりもアナログのノートの方が気持ちがいいな。
僕にとって必要なのは、ひとり、落ち着いて自分と向き合う時間と空間なんだ。
西魔女とも今日、そんな話をした。開業したら、週2日、半日ほどクライエントを入れず、自分だけの時間枠を作るんだ。
オレはエネルギーがすぐに外に向いてしまう。それを部屋の中に閉じ込めて、creativityに向けるんだ。今までの臨床家(セラピスト)としての体験を記載し、書籍として残していく。アイデアや言いたいことはたくさんある。眼前に患者さんや講演会の聴衆がいればいくらでもしゃべれる。でも、ひとりで書けないんだ。外に拡散しようとするエネルギーを閉じ込め、集中力に転換し、執筆に向ける。誰とも会わず、どこにも行かず、オフィスで自分に向かう時間。きっとあまり長くはもたないだろうから、せいぜい4-5時間くらいかな。午前中にクライエントを入れて、また夕方から入れる。その間のサンドイッチの時間を作るんだ。緊張感を維持したまま、孤独で自由な時間を作り出す。
Saturday, February 5, 2011
スローな弁当ライフ
手づくり曲げわっぱ弁当箱をamazon通販で買った。今までのコンパクトな金属製の弁当箱も気に入ってるのだけど、気の香りがするナチュラル志向で、ちょっと余裕を持たせた。
昨日は夜9時まで仕事が詰まっていた。仕事の合間にファーストフードをかけ込むかわりに、昼夜の弁当ダブルヘッダーをやってみた。時間とカロリーの節約になって気分は良い。しかもチャリ通勤したから、体重はマゾヒスティックに最低を記録した!
今日は岐阜で、明日の日曜は仙台で講演もダブルヘッダーだ。昼飯は新幹線弁当を買わずに、敢えてワッパ弁当箱で手作りホイコーロー弁当を持参した。使い捨てプラスチック容器の方が荷物軽減になるのだが、ここはあえて新しい弁当箱の感触を優先した。食は気持ちを和ませる。
おかげで、かなり絞ったぞ。その分、今晩は出張先で思い切りご馳走を楽しもう!
週末仕事のタブルヘッダー。でも、そんなに疲れていないよ。まったり・ゆっくりと、参加者の人たちと直に交流できるから癒しにつながる。来週末の入学試験監督の方がよっぽど疲れる。
昨日は夜9時まで仕事が詰まっていた。仕事の合間にファーストフードをかけ込むかわりに、昼夜の弁当ダブルヘッダーをやってみた。時間とカロリーの節約になって気分は良い。しかもチャリ通勤したから、体重はマゾヒスティックに最低を記録した!
今日は岐阜で、明日の日曜は仙台で講演もダブルヘッダーだ。昼飯は新幹線弁当を買わずに、敢えてワッパ弁当箱で手作りホイコーロー弁当を持参した。使い捨てプラスチック容器の方が荷物軽減になるのだが、ここはあえて新しい弁当箱の感触を優先した。食は気持ちを和ませる。
おかげで、かなり絞ったぞ。その分、今晩は出張先で思い切りご馳走を楽しもう!
週末仕事のタブルヘッダー。でも、そんなに疲れていないよ。まったり・ゆっくりと、参加者の人たちと直に交流できるから癒しにつながる。来週末の入学試験監督の方がよっぽど疲れる。
Friday, February 4, 2011
2年1ヶ月
節分。
先月の2年目にはお正月に親族が小さく集まり、優子のことを語り合ったなあ。あれから1ヶ月しかたっていないのに、ずいぶん遠い昔のように感じるのはなぜだ?
この1ヶ月を振り返ると、R familyとスキーに行き、週末に京都に出かけて、、、、でも、なんとなくリア充なんだよな~。なんだか自分が変わっていくような感覚だ。
先月の2年目にはお正月に親族が小さく集まり、優子のことを語り合ったなあ。あれから1ヶ月しかたっていないのに、ずいぶん遠い昔のように感じるのはなぜだ?
この1ヶ月を振り返ると、R familyとスキーに行き、週末に京都に出かけて、、、、でも、なんとなくリア充なんだよな~。なんだか自分が変わっていくような感覚だ。
Renewing my Life
For the first time in my life, I had my hair cut at a 美容院, not by the men's same old 床屋.
For the first time in my life, I will go to an international academic conference without presenting anything. I will take Eugene and Yuma to Amsterdam in late March.
For the first time in my life, I will start my own private practice.
そう。開業の話が進んでいるのが要因のひとつかな。
場所が決まりそうなんだ。具体的なカタチとして見えてきた。頭の中では、部屋のレイアウト、そこでどんなことをやってるかなどなど、イマジネーションは勝手に先に進んでしまっている。
職場の仲間たちに話したら、
「なんか、そういう話ってわくわく楽しいわねえ~。お披露目のときぜひ行くわ!」
「そうだよな。他人ごとだから楽しいよね。でも本人はいろいろあって大変なんだよな!」
と言いつつ、やってる本人もわくわくしているかもしれない。
その一方で、いくつかのグループが歓送会を組んでくれているみたい。そりゃ、嬉しいですけどねえ。職場的には居なくなるけど、別にあなたたちの前から姿を消すわけではないし、むしろ、もしかしたらもっと別の、濃密な形でおつきあいできるかもしれないよ!
送られるとか、別れを告げられるってイヤだよね。
それに、最近、仕事を有効活用しちゃっているんだ。
明日は岐阜でいのちの電話の講演会。テーマは「支え合ういのち」。多分、去年の長崎のように優子を失った僕の体験を話しちゃうだろうな。
昨日は合同家族グループのファシリテータ。出したテーマは、「自分の大切なもの」
僕は優子と子どもたちの写真を持ってきた。
グループの反応に支えられる。
一番感動したことは、先生の涙です。奥さまのこと、お子さまのこと、どんなにか愛していらしたか伝わってきました。さて私は、どうかしら?
先生の大切な「ご家族」の写真から、先生が本当に大事にされていることが心に響き伝わりました。先生の奥さまへの愛情、子どもさんへのまなざしに感動しました。先生に愛されて奥さまはお幸せだったことと思いました。
先生がご家族の写真を見せてくださり、涙が出たあのお姿をみたとき、私も、「自分のこれまでのことを伝えても良いんだ」と思えてきました。
そうだよね。急に先生が泣き出したらびっくりするよね。でも、涙をみせて良いんですよ(男でも)。自分の深い気持ちを語っても良いんだよ。安全な場所を確保して、相手の共感によって支えられるという見本をグループのみんなに示すことが、自分自身の癒しに繋がっていくんだよね。
そうだよね、自分の感情体験が他者によって受け止められ、自分でも自己を受け入れられるようになるんだ。
そうだな、グループの皆にもこのブログを紹介しよう。そして、みんなの声もブログに載せよう。
まあ、ゲンキンな!
この冬はやけに寒いが、ようやく温かくなり始めた。
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なんてことがあったその晩、久しぶりに優子が夢に出てきたぞ。
優子が長い海外出張からやっと帰ってきて、書斎の僕の隣の椅子でくつろいでいる。
「ああ、やっと帰ってきたね!」
「ああ、ほっとするわ~。これからしばらく仕事はお休みなの!」
優子に抱きついてベタベタしているボクを、祐馬が書斎の机に座り込んでしっかり監視している。
そう、俺もこれからくつろぐんだぞ~。
あくせく身を粉にして働くことはしない。
Tuesday, February 1, 2011
好きなことと嫌いなことの区別
土日も仕事でたいへんねえ!
いや、週末の仕事の多くはたいへんじゃないんだ。むしろ楽しい。
土曜は岐阜で、日曜日は仙台で講演会。
講演は面白いんだよね。自分の好きなことをしゃべれるし、聴衆は真剣に聞いてくれる。試験監督や会議よりはよっぽどマシなんだ。
好きな仕事と、嫌いな仕事がはっきり見えてきた。
旅行・休暇もけっこうはっきりしてるかも。
人と至近距離で交わり、相手から直接フィードバックが返ってくることが楽しいみたい。
始めからプールサイドにのんびり寝そべり、緊張感が弛緩した状態はかえってダメだ。落ち着かずに泳ぐか、どこかに行くか、本を読むかしてしまう。
むしろ、ある程度のテンションを保って身体や感情のエネルギーを使い果たし、その後にやってくる気だるい放心が好きなんだな。
これからは、イヤなことは極力避け、好きなことだけ選んでいくんだ!
いや、週末の仕事の多くはたいへんじゃないんだ。むしろ楽しい。
土曜は岐阜で、日曜日は仙台で講演会。
講演は面白いんだよね。自分の好きなことをしゃべれるし、聴衆は真剣に聞いてくれる。試験監督や会議よりはよっぽどマシなんだ。
好きな仕事と、嫌いな仕事がはっきり見えてきた。
- 好きな仕事
- 講演
- 少人数ゼミ形式の授業・研修
- 個人療法、家族療法、集団療法
- 事例のコンサルテーションやスーパービジョン
- 言いたいことを言いっぱなしの会議
- 原稿・論文書きの前半(アイデアを多方面に膨らませ、順不同で書き散らす段階)
- 嫌いな仕事
- 黙って参加しているだけの会議
- 大人数の一方的にしゃべりっぱなしの授業(学生は聞いてるのだか、聞いてないのだか)
- 試験監督
- お金の計算
- 原稿・論文書きの後半(言いたいことを順序良く整理する段階)
旅行・休暇もけっこうはっきりしてるかも。
- 好きな休暇
- スポーツやアウトドアで体を動かしている
- 講演で現地の人と触れ合ったり、学会で多様な人と触れ合うこと。講演の後の飲み会とか、学会の懇親会、パーティーなんか良い
- ひとり旅(ちょっと覚悟がいるけど、深い旅になる)
- 嫌いな休暇
- 名所旧跡めぐり(見るだけ)
- 団体旅行
- 何もしないでボケッとしている休暇
- (ホントはそれができたら一番いいのだけど、何かを必ずやってしまう)
人と至近距離で交わり、相手から直接フィードバックが返ってくることが楽しいみたい。
始めからプールサイドにのんびり寝そべり、緊張感が弛緩した状態はかえってダメだ。落ち着かずに泳ぐか、どこかに行くか、本を読むかしてしまう。
むしろ、ある程度のテンションを保って身体や感情のエネルギーを使い果たし、その後にやってくる気だるい放心が好きなんだな。
これからは、イヤなことは極力避け、好きなことだけ選んでいくんだ!
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